あ~~、こういうの見たかったわ~(しみじみ)最近暗い話題が多かったので、明るくてキラキラした世界観の作品が沁みること、沁みること。それにしても、いつみても能年玲奈ちゃんの透明感はハンパないな!
今改めて見て思うことは…月海ちゃんはなんだかんだで、天水館で尼ーずさんたちと一緒にいれば、閉鎖的空間ではあるものの、それなりに幸せに暮らせてたんじゃないかなぁ??ということ。
つまり、この物語って一見、蔵之介が月海ちゃんたちを見出し、救出したように見えるんだけど(まあ、実際そういう面もあるんだけど)、本当のところは、月海ちゃんが鯉淵ブラザーズを救った意味合いのほうが強いんじゃね??と思わなくもない。
まあ、この映画の煽りも”シンデレラストーリー”、なんてうたわれちゃってるんだけど、だけどさ、渇望している母性みたいなものを、月海ちゃんは尼ーずさんたちから、既にある程度埋められているけれど、鯉淵ブラザーズにはそれがまったく無かったよね!?
だからこそ、母性に著しく飢えた異母兄弟にとって、ピュアで心根の優しい大和撫子のような月海ちゃんの存在は、唯一無二だった。たぶんね、月海ちゃんに出会わなければ、鯉淵ブラザーズは、女性を本気で好きになることはなかったんじゃないかな。
あれだけ家庭環境が複雑だと、そりゃあ、恋愛や結婚、夫婦関係に夢なんて抱けなくなるわさ(涙)。もし鯉淵ブラザーズが月海ちゃんに出会わなかったら、蔵之介は上っ面の女遊びを虚しく繰り返し、修は童貞を貫き、双方ともに、ある意味逆方向に、乾いた人生を歩んでいたように思えてならない。
あ~~~、でも、なんで同じ人を好きになるのさ~~~!月海ちゃんがふたりいればいいのに!!!3人ともそれぞれ思いやりに溢れてるだけに、このいびつな三角形の将来を思うとツラい。とってもツラい。
もうさ、いっそのこと、3人で家族になればいいやん?切ない想いもするし、苦しい想いもするだろうけど、蔵之介にとっても修にとっても、月海ちゃんの代わりはなかなか出現しそうにないから、ね、もういっそ、そうすればいいよ!無理かな??ダメかな??
まあ、月海ちゃんの気持ちがハッキリと決まっちゃったら、もうそれに従うしかないんだろうけど…月海ちゃんを失くしたほうのことを思うと、なんか胸が苦しくなってしょうがないよ。だってさ、大事なものは絶対に手放しちゃダメ、なんでしょ??(号泣)母親を失って、月海ちゃんまで失ったら、生きていかれそうもないじゃん?
映画ではいい感じでフワーっとして終わったんだけど(苦笑)、原作では、コレ、果たして決着はついてるんだろうか??…私はとても怖くて見ていられないわ。。。
↑セカオワの主題歌も最高~♪ブレイク前の中村倫也さんもちょこっと出てるよ~!
↑月9バージョンの芳根京子ちゃんも、めっちゃ可愛いよ~!
↓能年玲奈改めのんちゃん主演の別の映画はこちら🎵