「愛がなんだ」を見て、なんだか頭が混沌としてしまったので、ちょっと他の方のレビューも見てみることにした。となると!もうこのかたしかいないでしょう!助けて!大島さーーーーん!!
なるほどねえ、、、。そうか、そうなのか、、。自分にないものを補うだけの恋愛は、自己愛止まりで終わるのか。ん~、、ここらへんは恋愛経験のほぼほぼない私には、全く至れない境地だわ(苦笑)。
そしてヒロイン・テルちゃんの見方もずいぶんと深い。趣味もこだわりもなんにもない、凡庸すぎるキャラだからこそ、自分軸で生きられず、常に身近にある他人軸で生きてしまうのだ、という大島さんの鋭い指摘。う、うわっ、、もうぐうの音も出ない。。
ということはつまり、アレか。テルちゃんにとって、”マモちゃんに執着する”という行為は、おそらく”宗教を信仰する”という心境に近いのかもしれないね。なんていうか、生きていくためにすがらざるを得ないもの、というか。
そしてこの、マモちゃんなしには生きられない、ヒロイン・テルちゃんがなぜ絶望的に見えないのか。私は、なんだかんだでテルちゃんが関係性の主導権を握っているからかな?と思っていたのだけれど、大島さんは「どん底の時でもよく食べるから」だと言う。
うん、うん、たしかに。テルちゃんの食べっぷり、良かったもんなあ。それが親友・葉子さんのみならず、観客までにも安心感を与えてくれていたのか。「死んだらマモちゃんに会えなくなる」からこそ、テルちゃんはよく食べ、適度に運動もし、けっこう健康的な生活をしてるんだよね。
それからラストシーンの解釈も違った。私はいつかテルちゃんも、葉子さん&仲原君の姿に感化され、目覚めるときがくるのかも??と思ったのだけれど、大島さんは、テルちゃんはこれからもずっと囚われ続けるんだろう、と感じたらしい。
まあ、映画の解釈に正解も不正解もないんだけれど、私の感じ方はかなり希望的観測も入っちゃってるのかもね(苦笑)。だってさ、テルちゃん、普通にいい子やん。だからこそ仲原君みたく、悟って欲しいじゃないか。そして誰かと、愛し愛されて欲しいじゃないかー!(涙)
しかしね、大島さんの言うことはごもっとも、なんだけれど、そんな理想的な”高め合う・影響し合う”恋愛って、実際にできてるひと、どれくらいいるんだろうか??
そんな健全で賢い恋愛ができず、依存したり執着したり、わけわかんない関係のままズルズルしたり…。そんな愚かさこそが、ある意味”人間らしさ”なのかも、ね??
↑原作を読めば、より登場人物への理解が深まるらしい。